
相手の保険会社からの連絡を待っていましたが、なかなか掛かってきませんでしたので、痺れを切らした俺は、事故の翌日に、こちらから電話を掛けました。
「なかなか電話をいただけませんので、掛けさせてもらいました。」
繋がった相手男性に、俺は言いました。
すると、男性は、極めて軽い口調で言いました。
「あ~、すみません。電話を掛けても、どうせ、入院中で出れないと思いましたんで・・・・・。」
2日続けて、無神経な言葉を聞かされて、俺は、もう、うんざりでした。
「”どうせ”って、何やねん?ふざけた保険会社やな。こっちは、死活問題やいうのに・・・・・。」俺は、思いました。
相手の保険会社は、保険料の安さが売りの外資系の保険会社でしたので、たぶん、きちんとした社員教育にかけるお金もケチってるんでしょうね。被害者に支払うべき賠償金がケチられているのは、当然の事ですが・・・・・・。
人件費をケチって、人手不足なんもあるかも知れません。教育の行き届いていない能力の低い人間が、キャパを越えて、多くの案件を抱えていて、手が回っていない可能性もあります。
これは、実際に、俺が経験した話ですから、間違いありません。そうでもせんと、保険料を安くなんか、できませんよね。
賠償金を出し渋る悪徳保険会社と、俺は、約2年に渡って裁判をしていました。この話は、また後日にアップするブログ記事に詳しいです。
書き出すとキリがありませんので、とりあえず、今回は、事故に遭うて、入院するまでで、一区切りにしておこうと思います。
これが、忘れもしない、17年前の”1月11日”に、俺の身に起こった出来事です。
俺は、この日、多くのものを失いました。自営業の職業も、趣味の日本拳法も、大好きやったドラムも・・・・・。
相手の保険会社は、裁判が終わる約2年後まで、賠償金を振り込んでくれませんでしたし、利き手である右手に力が入らない為、車の運転や荷物の積み下ろしが出来なくなった俺は、2008年に始めたばかりの露店での古物販売業を断念して、働きに出ざるを得ませんでした。
2002年に、難病に罹り、しばらく仕事がままならない時期がありました。それでも、2004年に、ずっと憧れやった山の土地を購入しました。2008年に始めた、新たな試みである露店商の仕事では、慣れない環境で、結構な赤字を出してしまいました。
交通事故に遭うた当時、俺は、450万円の借金を抱えていました。
せやから、2009年1月11日は、ゼロからのスタートどころか、実際は、マイナス450万円からのスタートでした。指が千切れかけ、仕事ができず、賠償金ももらえずに、全く先が見えない状況で、借金だけが残されていました。
まさに、俺が、人生のどん底に突き落とされた日、、、、それが、2009年1月11日でした。
2012年5月に、”こゆび庵ヘルパーステーション”を立ち上げるまでの約3年間は、正直、しんどかったですが、その辛い時期を乗り越えたからこそ、今の俺があると思っています。
「事故に遭うて良かった!」
とは、言いません。(よく、皆さん、こないに言うてはりますが。笑)
正直に言うと、短くなって、曲がらなくなった小指が、元通りに戻ってくれた方が嬉しいです。小指がこないになって、良かった事なんか、一つもありません。強いてあげるなら、”こゆび庵”という名称が生まれた事ぐらいですかね?(笑)
まぁ、せやけど、そんなん言うてみたところで、どないもなりません。過去は変えられません。
1月11日は、1が3つで覚えやすいですし、人生のどん底に転落した、俺の原点とも言える忘れられない日ですので、俺は、この日を”交通事故記念日”に制定して、毎年、「初心に返る」べく、気持ちを新たに、美味しく、ビールを飲んでいる訳なんです。
~完~


