普通に社会生活を送る上で、全くストレスをなくす事なんて、ほぼ100%不可能です。せやけど、それは、俺の人生における最大の目標のうちの一つでもあります。いつの日にか、それを実現できる日が来る事を信じて、頑張りたいです。
話が逸れてしまいましたけど、ガラスの大腸という”ストレスメーター”を手に入れた俺は、今回の強烈な下血に繋がったストレスが何なんか、もちろん把握しています。何とかして、それを取り除かん事には、体調維持は不可能です。入院だけは、何としてでも避けんとあきません。
2003年8月。その年の4月に薬の服用と通院をやめた俺の病状は、坂を転げ落ちるように悪化の一途を辿り、当時は体重がたったの51キロしかあれへん程でした。1日に20回も30回も便所に駆け込まなあかんで、物は食われへん、夜も1時間おきに便所に目が覚めて寝られへんちゅう、ほんま、まさに拷問のような生活を強いられてました。
せやけど、そんな死にかけの状態でも、一緒に住んどった親父がストレスの原因である事を悟った俺は、彼の元を離れて一人暮らしをする決心をして、家を出ました。その時の俺は、昔が100やったとしたら、5のストレスにも耐えられへんかったと思います。それぐらいに弱わり切ってました。
その当時の俺は、拷問の苦しさに耐え兼ねて、「こないに苦しいんやったら、いっそ大腸を全摘出してしもた方がええわ。」とさえ思てました。この病気は、大腸が炎症を起こす病気なんで、大腸さえあれへんかったら、とりあえずは苦しみからは解放されます。せやけど、ただ、そないなったら、人工肛門とかも視野に入れなあかんし、体にも大きな傷痕が残ってしまいます。それ以外にも、いろいろと不便な点は出てくるんやけど、それでも、拷問の苦しさに比べたら、そのいずれもが、取るに足らん事のように思えてくるから不思議です。
せやけど、当時の最大のストレス源の除去に成功した俺の体調は、その日を境に劇的に快方に向かいました。
せやけど、体調が戻ってくると、俺の悪い癖である”懲りない虫”が騒ぎ出してしまいました。
俺は、その死にかけ状態から何とか命からがら回復した、わずか3ヶ月後から、ハードな武道である日本拳法に、約2年半のブランクを経て、いきなり復帰してしまいました。我ながら、ムチャクチャです・・・・・。
~続く~