2005.04.13「根性なし」その2

バンド時代のコラム

せやけど、冷静に考えてみたら、”根性”って一体、何なんやろか?

手元にある、ちっこい辞書を引っ張ってみると、”生まれつきの性質。本性。気性。しょうね。”とあります。これらの意味は、俺が、ここで考えてる”根性”の意味とはちょっと違います。もっとでかい辞書で調べたら載ってるんかも知らんけど、俺が考える”根性”は、どちらかと言うと”度胸”に近いと思います。

決して周囲に流される事なく、自分の信じる道を貫き通せる、強い心を持った人こそが、”根性のある人”やと、俺は思います。あるいは、どんなに踏みつけられても、不屈の闘志で這い上がってくるような人もそうやと思います。

せやけど、これが一歩間違うと、「周囲に迷惑を掛ける事を省みず、極めて自己中心的で、人の頭を踏みつけてでも、自分が這い上がってやろうとする人」になってしまいかねません。確かに、ある意味では、どちらも、”根性がある”とは言えるかも知れません。両者の違いは、まさに紙一重です。

まぁ、せやけど、どっちにしても、俺には”根性”がありません。これは性格にも関係してると思います。

今よりは、何ぼか根性のあった小学生時代でも、俺は人と競い合うんはあんまり好きやなかったです。

徒競走の時に、カーブで人と競り合うような時は、自ら減速して相手に道を譲るような子でした。サッカーしてる時に人がボールを取りに来たら、抵抗する事もなく、あっけなくボールを渡してしまうような子でした。

人が一生懸命に頑張ってるんを見たら、その人と張り合うてまで、相手を蹴落とすような事ができん性格です。マラソン大会の時でも、何が何でも、1位になってやろうっちゅう気力のない子で、いつも余力を残して、5位以内に入ってました。

この性格は、今でもそうですけど、俺は、人と徹底的に対立してまでも、何が何でも、自分の意見を通そうとは、決して思いません。そないする事よりも、俺は自ら身を引く事を選びます。分かってくれへん人には、無理に分からせようとはしません。分かってくれる人だけ、分かってくれたら、それでいいです。

小学生の頃から、だんだんと大人になるに従うて、世の中の様々な事が分かってくるにつれて、俺は根性を失うてきました。自分の力だけでは、どないもならん事が多過ぎて、ある意味、俺は無気力になってるんかも知れません。

~続く~

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