2005.07.06「難病の治し方」

おまち堂のコラム

自己紹介を読んでくれはった方は、最初から知ってはったかも知れませんけど、僕は3年前の2002年8月に「潰瘍性大腸炎」と診断されて、難病患者を約1年間していました。

「難病患者をしていた。」ちゅうのは、おかしな書き方ですけど、今は、もうまったく病院にも通ってませんし、薬も飲んでませんし、入院費や見舞金などの援助を国から受けられる「特定疾患受給者証」という、いわゆる「難病患者証明書」も、すでに返還して、今は持っていませんので、今の僕は、もはや、難病患者ではありません。元難病患者です。

「潰瘍性大腸炎」と聞いても、「何それ?どんな病気なん?」という人が、ほとんどやと思います。実際、僕も、3年前に、自分がそない診断されるまでは、見た事も聞いた事もない病名でした。

簡単に、説明をすると、「大腸に潰瘍や炎症が起きて、治ったり、また、なったりを繰り返す、やっかいな病気」です。この病気が、国の難病に指定されているのは、原因が不明で、完全には治らないとされているからです。

具体的な症状としては、下痢や腹痛、血便などがあげられます。症状が、いよいよ、ひどくなって来て、薬が効かなくなってきたら、大腸を全摘出しなければならなかったり、様々な重篤な合併症を引き起こしたり、大腸ガンになる可能性が、普通の人よりも格段に高かったりと、さすがに、難病に指定されてるだけあって、なかなか怖い病気です。おまけに、原因が不明やとなったら、その恐怖は、さらに増幅します。

せやけど、僕は、この病気の原因が、ストレスにある事に気付いていました。思い当たる節が、ありありやったからです。

「睡眠不足、ストレス、疲労、食生活の乱れ」、これらは、この病気やなくても、その他、全ての病気の原因に違いないんですけど、僕は、大学を卒業して働き始めてから、その全てが当てはまる生活を、数年間、続けていました。睡眠時間は、1日5時間ぐらいで、1週間のうち、ゆっくり体を休める日はほとんどなく、週2回拳法に行って、週1回、大阪でバンド練習、月に2~3回は、岡山でバンド練習を続けていました。さらに、週1回、剣道の道場に通っていた時期もありました。

おまけに、毎日毎日、仕事や家庭内のイザコザなどで、強烈にストレスが溜まり続けていました。

生活に疲れ果てて、大阪を出て、旅に出て、新たに暮らし始めた熊本でも、生活に追われて、毎日、少ない睡眠時間で、新聞配達をしたり、他の仕事をしたりと、心と体を休める暇がありませんでした。

そんな生活を続けた挙句に、熊本の病院で、29歳の誕生日の日に「潰瘍性大腸炎」と診断されて、大阪に強制送還されました。”強制送還”というのは、冗談ですが、たった1人で訪れていた熊本で入院するというのは、経済的以外にも、様々な理由で不可能でした。

結局、僕は、45日間入院したんですけど、これは僕にとって、生まれて初めての経験でした。

僕は、それまで、外科以外の医者にかかった事なんか1回もなくて、薬なんか、全く口にした事がありませんでした。自分は、ムチャクチャ健康やと、信じて疑うてませんでした。せやのに、久しぶりに病院に行ったら、いきなり入院させられて、毎日、薬を飲まされるようになって、挙句の果てには、医者に、「この病気は、原因不明で治りませんよ。一生付き合っていかんとあきません。」と言われてしまいました。

僕は、それは、ちょっと、おかしいと思いました。人間の体には、自然治癒力があるはずです。体の多少の擦り傷や切り傷は、ほっといたら、そのうちに、勝手に治るのに、大腸の炎症ごときが、一生、治らんとは、ちょっと納得が行きませんでした。

今まで、風邪でも何でも、薬を飲んだ事がなくて、全ての病気を、自力で治してきた僕は、この難病も自力で治す事にしました。僕は、2003年5月以降、薬もやめて、医者通いも一切やめました。

原因が分かってるんやから、それさえ取り除けば、必ず病気は治るはずやと信じてました。所詮薬は、症状を抑えるだけに過ぎず、根本を改善せん事には、対症療法では、どないもなりません。僕は症状を抑えたかったんやなくて、病気を治したかったんです。そのためには、薬は必要ありませんでした。

せやけど、薬をやめた後の2~3ヶ月は悲惨でした。1日に20回以上もトイレに駆け込まなければならず、物を食べるとお腹を下す、せやけど、食べんと体力が付かない、夜は1時間おきに、トイレに目が覚めて寝れない、などなど、まさに拷問のような毎日で、僕は、みるみる痩せ細り、昔は70kgあった体重が、2003年8月には、51.3kgにまでなってしまいました。

それでも、僕は、家にいたら、ストレスが溜まってしまうので、ストレスをなくすために、フラフラになりながらも、一人暮らしを始める事にしました。もちろん、その間も、仕事は続けていました。集中力に欠けて、この時期に、3回も車をぶつけてしまいました。そのうちの1回は、車相手の事故でした。

せやけど、結果的に、僕は間違ってませんでした。何とか、その厳しい時期を乗り越えた僕は、その、わずか2ヶ月後の2003年10月には、無謀にも(!)、拳法を再開できるまでに回復していました。せやけど、さすがに、激しい運動は、まだまだ無理やったみたいで、拳法は2003年いっぱいでやめて、2004年は、丸1年、行きませんでした。せやけど、回復への手応えは、ひししと感じていました。

それからも、日に日に体調は回復の道を辿り、2004年8月からは、昔のメンバーに誘われてバンド活動を再開できるまでになりました。

せやけど、やはり、気の合わない人らと活動を共にすると、どうしてもストレスが溜まってしまい、活動中に数回、血便が出る事がありました。やはり、一度、こっぴどく壊してしまった体は、普通の人と比べると、かなり壊れやすく、まだまだ、無理は禁物のようでした。

ご存知の通り、今では、週2回の拳法の稽古にも参加できる程、回復しています。激しく体を動かして、多少の疲労が溜まっても大丈夫です。せやけど、ストレスが溜まると一発です。やはり怖いのは、何よりも、ストレスです。この病気の一番の原因が「ストレスや!」と僕が言い切るのは、今までの自分の経験に基づいてです。勘で言うてる訳やないです。薬の服用も、体にはストレスになるそうです。

もし、これを読んでくれてはる人の中に、僕と同じ病気の人がいてはったら、まずは、ストレスを、極力、なくすようにと、アドバイスしたいです。この病気になる人は、僕と同様、根が真面目で、頼まれたら断れないような、お人好しで(冗談ちゃいますよ!)、ストレスの発散が、下手な人が多いはずです。人に迷惑をかけて、平気でおれるような無神経な人は、まず、この病気には、ならんと思います。ほんでもって、医者と相談しながら、極力、薬をやめる方向で、検討すべきやと思います。

一番、大事な事は、「絶対に治る!」と信じて、頑張る事です。「潰瘍性大腸炎」は、治る病気です。あかんと決め付けて、最初から何もせんかったら、治るもんも治りません。薬漬けなんかに、なったらあきませんよ!

タイトルとURLをコピーしました