昨日、前回の2003年の阪神の優勝時以来、久しぶりに、テレビで野球観戦をしました。
ここ13年以上、野球には、あんまり興味のない僕は、滅多な事がない限り野球の試合を見る事はありません。今年、よく目や耳にした、”JFK”と呼ばれる阪神の中継ぎ投手陣も、昨日になって、初めて見ました。
”JFK”とは、ジェフ・ウイリアムス、藤川、久保田の3投手の頭文字を取って命名されたニックネームで、この3人の活躍があって、今年の阪神は強かったそうです。新聞では、しばしば、その活躍を目にして知ってはいたんですけど、昨日、初めて、この目で見る事ができました。
3人とも、確かに、ええ球を放ってました。今年の阪神の優勝は、赤星、金本、今岡を始めとする打撃陣と、下柳、”JFK”を始めとする投手陣が、それぞれ、自分の仕事をキッチリとこなした事によって、もたらされたもんやと思います。
僕は、阪神ファンはおろか、野球ファンですらないんですけど、やはり、地元球団の優勝は、嬉しいもんです。岡田監督の胴上げシーンでは、藤川投手の涙に、思わず、もらい泣きをしてしまいました。
今では、阪神の優勝を喜んでいる僕なんですけど、意外にも、小学生の頃は、バリバリの巨人ファンでした。これは親父の影響なんですけど、根が天邪鬼な僕は、周りのみんなが、阪神の帽子を被っていたら、巨人の帽子を被りたくなるような性格でした。
小学生時代のお気に入りの選手は、巨人の松本匡史外野手でした。”青い稲妻”と呼ばれた1番打者で、足が速く、盗塁を決める姿に憧れていました。僕は小学4年生の頃から近所のチームに入団して野球をしていたんですけど、その時は、サードを守っていました。松本選手が好きだった僕は、外野が守りたくて仕方がありませんでした。
中学生になると、学校には野球部がなかったんで、日曜・祝日だけ活動していた少年野球チームに入りました。このチームでは、念願叶って、レフトを守らせてもらえるようになりました。
僕は、足が速くて、一応は、レギュラーには、なれたんですけど、打撃は、あまり得意ではありませんでした。僕は走ったり、投げたりの身体能力は、そこそこあったんですけど、いかんせん、運動神経は鈍めで、球技は、あまり得意な方ではありませんでした。
自分で、その事がよく分かってたんで、僕は、中学では、もう野球はやめるつもりでおったんですけど、野球好きで、僕をプロ野球の選手にしようと企む親父の陰謀で、気が付けば、僕は、また野球チームに入らされていました。ほんでもって、そのまま惰性で、高校でも、野球部に入部する事になってしまいました。
僕が入学した高校は、その当時、大阪の公立高校では、一番、野球の強かった学校で、同じ学年には、プロ入りした選手もいてました。
特に、真剣に野球がしたかった訳でもなかった僕は、厳しい練習以上に、激しく厳しかった先輩後輩の上下関係や、同じ学年同士の人間関係などに失望して、高校1年生の冬に退部してしまいました。
高校での試合経験といえば、1回だけ、練習試合で、センターの守備に入らせてもらって、フライを捕球して、バックホームした事があるだけです。その時、僕は、力任せに、キャッチャーを目掛けて、ボールを投げたんですけど、セカンドを守っていた先輩に、「ちゃんと、カットまで放れ!」と怒られたんを覚えています。
僕は、退部して以来、野球には、ほとんど興味がなくなってしまいました。汗と涙の爽やかなイメージの裏に隠された、高校野球の陰湿な影の部分を知ってしまい、その延長である、プロ野球にも興味がなくなってしまいました。
中学生時代は、小学生時代の延長で巨人ファンやったと思うんですけど、高校時代の僕は、近鉄ファンでした。当時の近鉄には、ブライアントという選手がいて、彼の豪快なホームランが大好きで、彼のバッティングフォームを、いつも真似していました。中学までは、右打ちやった僕が、高校から、左打ちに転向したのも、彼の影響からでした。
1989年に、パ・リーグ優勝を決めた、伝説の西武とのダブルヘッダーでの4発のホームランは、まさに圧巻でした。
その試合ではありませんが、わざわざに、一人で試合を見に行った事もあって、当時の西宮球場で放たれた彼の場外ホームランは、今でも記憶に残っています。
せやけど、その後の僕の興味は、ボクシングに移ってしまった事もあって、それ以来、野球とは、すっかり縁遠くなってしまいました。
昨日は、久しぶりに、テレビで試合を見たんですけど、「胴上げの瞬間を、この目で、生で、球場で見てみたいなぁ。」と、ふと思いました。もう長い事、球場には、足を運んでないんですけど、来年か再来年か、また近いうちに、球場に足を運んでみたくなりました。
胴上げを見るんやったら、やっぱり、タイガースの胴上げがいいです。今の僕は、隠れ阪神ファンなんかも知れません。