今週の月曜日に、店に来てみると、いつも商品陳列に使っている横長の会議テーブル2つが、なくなっていました。
もう1年以上も、ほぼ毎日使用していて、閉店時は、いつも折りたたんで、店のシャッターの前に立てかけて、置いておいたんですけど、月曜日に来てみると、その2つともがありませんでした。
そのちょっと前には、これまた商品陳列用の黒のスチールラックが盗まれそうになっていました。これも、閉店時は、いつも外に出しっぱなしなんですけど、風で倒れてしまわないようにと、これには、壁に固定するための紐が、数箇所に取り付けられていました。
せやけど、朝になって僕が店に来てみると、その全ての紐が切られていて、その周辺には、それを動かそうとした形跡が、ありありと残っており、店の前は、かなり荒れた様子でした。
きっと、持って帰ろうとしていた、ちょうど、その時に、人が通りかかるとか、何かがあって、途中で断念して、逃げたんやと思います。
僕の店の上は、マンションになっており、何人も人が住んでいますし、道路を挟んだ店の前には、結構、大きなマンションが建っていて、たくさんの窓があって、人目には付き易いです。
せやけど、それでも、今まで、ひょうたん型のテーブルとスチール棚、テレビを持って行かれています。どちらも商品陳列用で、閉店後は外に置きっぱなしでした。もちろん、どちらも、それ程、高価な物やなくて、別に盗まれても大した損害はないっちゅう事で、そのまま、外に置いてるんですけど、それでも、盗まれてしまうと気分が悪いです。ええ気はしません。「世の中には、悪い人間がおるんやな・・・・・。」と思うだけで、気が滅入ってしまいます。
ひょうたん型のテーブルには、天板いっぱいに、「おまち堂」の店名と電話番号とが、大きな文字で、ペンキで書かれていました。看板代わりになるやろうと思って、僕が自分で書いて、ニスまで塗って仕上げた、お気に入りでした。
それを盗んだ人間が、どんな気持ちで、毎日、それを見ながら使こてるんかと考えると、相手が正常な思考回路をした人間やない事は明らかです。
人の物を盗むっちゅう、人の道に外れた事を平気でできる人間ちゅうのは、やっぱり、どっか異常なんやと思います。普通の人間の感覚では、彼らの考えてる事は、理解でけへんと思います。
考えようによっては、世の中には、鍵を壊して人の家に入って、住人に目撃されたら、相手を殺してでも盗みを働くような人間が、平気で、存在しますので、外に置いておいたら、盗まれて当然と言えば、当然なんかも知れません。彼らにとっては、落ちてる物を拾っただけの感覚なんかも知れません。「ただで、手に入れられてラッキー!」ぐらいにしか思てへんはずです。悪い事をしたっちゅう感覚なんか、全くあれへんと思います。まぁ、もっとも、それがあったら、そんな事、ようしませんけど・・・・・。
テレビは、14型の小さなやつで、壊れていました。最近よく、無料回収の車が近所を通りますんで、僕は、今度、それが来たら渡そうと考えて、看板を乗せているテーブルの下の、外からは目立たないところに、それを置いて、上から毛布を掛けて隠しておきました。
せやけど、次の日に来てみると、見事になくなっていました。どっちみち、無料で持って行ってもらう予定でしたので、早くに持って行ってもろて助かったんですけど、それでも、隠してあったやつを、目ざとく発見されて、持って行かれてしもた日には、ちょっと気ィが悪かったです。常に、何かないかと、物色して回ってる人間ちゅうのは、おるもんです。
ひょうたん型のテーブルとスチール棚は、それぞれ2004年と2005年の正月休みに持って行かれました。たぶん、正月に、遠くから車で親戚に会いに来て、閉まってるうちの店の前に車を置いて、帰る時に、ついでに持って帰ってるんやと思います。たぶん犯人は同一人物で、うちから物を持って帰る事は、彼の正月恒例行事になってるに違いありません。せやけど、こっちは、正月早々から、気分が悪うてしゃぁないです。
僕は、森林に囲まれたところに土地を所有してるんですけど、そこに置いておいた33個のブロックは、今では10個ぐらいしかありません。何かを作ろうと置いておいた木の板もなくなりました。スコップもなくなりました。食べようとしていたポップコーンも、15分その場を離れた隙に、なくなりました。
犯人は、カラスとの説もありますけど、僕は、ちょうどその時に土地を訪れていた隣のペンキ屋の従業員が犯人に違いないと思っています。このペンキ屋は、井戸のすぐそばに、雨ざらしで、使いさしのペンキの缶を大量に放置したり、自分の土地以外の道路を不法に占拠したり、土地を、ものすごくゴミで散らかしています。そんな事が平気な彼らにとっては、置いてあるポップコーンを盗む事ぐらいは朝飯前に違いありません。
世の中には、悪い人間ばっかりやないとは分かっていながらも、人を疑わざるを得ないっちゅうのは、悲しい事です。せめて、僕だけは、誰にも疑われへん人間でありたいです。