友人との約束では、昼過ぎに豊岡に着いて電話を掛ける事になっとったんですけど、僕は、道が凍結していてスピードが出せない場合の事を考えて、早めの8時に家を出ました。
万が一、道が凍結していて、とてもやないけどブレーキが利かんような場合は、僕は途中で諦めて引き返すつもりでいました。出品者に対しても、友人に対しても、約束を破る事になってしまうけど、それでも、命には代えられへんと思てました。ちょっとでも身の危険を感じた場合は、双方に1本電話を入れて引き返すつもりで、僕は家を出発しました。
僕は無宗教な人間ですけど、毎朝、神棚に手を合わす事は欠かしません。いつもは、手を合わせて自分の心がけを念じるんですけど、この日は、初めて「生きて帰れますように・・・・・。」と祈りました。今だかつて、雪道なんか全く走った事のない人間が、ノーマルタイヤで雪国に向かうやなんて、まさに狂気の沙汰です。今まで、僕は、数々の無茶な事をしてきましたけど、生死に関わる無茶は、これが初めてでした。
前日2時間しか寝てへんのに、大阪から車で、下の道を走って岡山まで行って、友人と海水浴を楽しんだ後に、大量の酒を飲んで、その日のうちに、また下の道を走って帰って来た事もあります(よう生きとったな・・・・・)。花見で酒を飲んだ後に、バイクでピザの配達をして、転倒して、ミラーを割ってしもた事もあります(よう店長にバレんかったな・・・・・)。九州を転々としながら、真夏の暑い時に、家財道具を目一杯に積み込んだ狭い軽自動車の中で、1ヶ月間、車内生活しとった事もありました。難病にかかってしもたのに、医者通いをやめて、薬の服用もやめてしまいました。病気で痩せこけて、体重が51kgしかあれへんでフラフラやったのに、一人暮らしを始めた事もありました。今まで、密かに、結構、無茶な事をして来てる僕なんですけど、「死ぬかも知らん・・・・・。」とマジで思ったんは、その日が初めてでした。
その日は、7時に起きて、朝食はヨーグルトしか食べてませんでした。ふと僕は、マクドナルドが食べたいと思たんですけど、「あれは体に悪いからやめとこう・・・・・。」と、大腸の悪い僕は、その考えを瞬時に払拭しました。せやけど、高速に向けて車を走らせながら、「ちょっと遠回りになるけど、やっぱりマクド行っとこ。マクド食べるんも、これが最後になるかも知らんしな・・・・・。」と思い直し、車を転回させて、マクドナルドに向かいました。
ドライブスルーで朝マックを購入して、ハッシュドポテトを頬張りながら、ガソリンスタンドに寄ってから、高速に乗りました。ビデオを持参していた僕は、しばしば運転しながらそれを回して、声の解説付きで風景を撮影しました。もし僕が不運にも事故に巻き込まれて命を落としてしもたら、そのテープが、おかんらへの最後の贈り物になるんやろうな、と漠然と思たりもしていました。冗談抜きで、それぐらい、僕は死ぬ気満々(!?)でした。
中国道から播但道に入っても、雪がちょっと強めにちらついている程度で、その程度やったら、大阪の寒い日でも有り得る状況やったんで、どってことはありませんでした。地面も、雨の日に濡れているのと同じような感じで、命の危険は感じませんでした。
せやけど、しばらく走っているうちに、だんだんと周囲の山々が、雪化粧を始めている現実を目の当たりにしました。道路の脇には、うず高く雪が積まれていました。「トンネルを抜けると、そこは雪国でした!」僕は、ビデオを回しながら、そのフレーズを何回も口にしました(この行為こそが、命に関わるっちゅう噂もあるんですけど・・・・・)。
せやけど、道路の方は、ただ濡れているだけで、雪の影響は全く感じられませんでした。僕は、「これがクリスマスやったら、ロマンチックやなぁ。」と、周囲の山の枝々に、綺麗に積もるホワイトチョコレートのような雪を眺めて楽しんでいました。
”和田山”ちゅうところで播但道を降りて、国道を走り始めて、しばらくすると、道路の真ん中に、タイヤに踏まれて、解けて茶色く変色した雪の筋が見られるようになりました。周囲の地面には、大阪では考えられない程の雪が降り積もっていました。道路に面した店舗前の敷地の隅々には、除雪作業で作られた小高い山になった雪が見られるようになりました。普段、めったに積もった雪を目にする事のない大阪人の僕にとって、そこは、紛れもなく”雪国”でした。
僕は、「友人の言う通り、このタイヤでは、でかい幹線道路は走れても、一本奥まった道に入ったら完全にアウトやな・・・・・。」と思いました。まさか、僕の運転する車のタイヤがノーマルタイヤやなんて、すれ違う現地の人達は、夢にも思てなかったと思います。まさに、これは自殺行為に等しい、無謀な行動に違いありませんでした。
~続く~