2006.03.01「死のドライブ」その4

おまち堂のコラム

無事に現地に到着した友人と僕は、出品者の案内で、商品の”物置”が置かれている場所まで移動しました。

そして、僕は、その時、初めて、出品されていた商品と対面しました。

僕のイメージでは、それは、薄くて、軽いスチールのパネルで出来た、バラバラに分解する事のできる簡単な物置の”普通よりちょっと大きい版を、小屋風にアレンジした物”やったんですけど、いざ、実物を目の前にしてみると、印象は360度、違いました。それは、”簡単な物置”どころではなく、明らかに”木造の小屋”でした。

せやけど、僕は元々そこへ住むつもりでいてましたんで、「これは、想像以上に、ええ住まいになるで・・・・・。」と内心、小躍りしとったんも事実でした。せやけど、その気持ちは、解体作業を続けるうちに、どっかにぶっ飛んで行ってしまいました。

その小屋は、屋根2枚、床2枚、壁4枚の合計8枚の板やパネルに分かれはしたんですけど、そのいずれもがアホみたいに重くて、男2人で持って歩くには、まさに限界の重さでした。

出品者のおっちゃんも、「腰が痛い、腰が痛い!」と言いながらも、解体作業を手伝うてくれたんですけど、それでも、その重さは半端やありませんでした。

おまけに、小屋が置かれていた位置から、トラックまでの約20メートルの間には、おっちゃんの仕事で使うらしい、でかい丸太の木が数本、縦向きに通路に沿って横たえられていて、その歩きにくさというのは、まさにギネス級でした。あんだけの重量の物を持ちながら、丸太の上を歩く技術なんて、普通の人間が持ち合わせているはずがありませんでした。普通の道でも、それらのパネルを20メートルも動かすのは大仕事なんですけど、それを、あんだけ足場の悪いところでやるとなると、それはもう、想像を絶する罰ゲームでした。

おっちゃんは、オークションの商品説明のところに、「ユニックがあれば、解体組立は一人でOKです。手作業の場合は2人以上をお勧めします。」と書いてたんですけど、そんなん、大嘘も、ええとこでした。

たとえ、吊り上げのユニック車があったとしても、通路を占有する丸太が横たえられている限り、車は小屋に近寄る事すらできません。

屋根を下ろす作業も、たいがいでした。結局はおっちゃんも手伝うてくれて、3人でロープを使こて降ろしたんですけど、あの作業を2人でやっとったら、たぶん、一人は、下敷きになって死んどったと思います。まぁ、”死ぬ”ちゅうのは冗談ですけど、あれだけの作業を素人2人でやっとったとしたら、2人とも、無傷では済まんかったはずです。

僕は、まだ、普段から家具の積み下ろしをしたり、拳法をしたり、体を動かしてる方なんで、まだ力もある方なんですけど、普段は営業をメインに仕事をしていた友人にとっては、この突然の重労働は、相当に堪えたはずです。

カバン関連の会社に勤める彼は、「カバンの生地は、結構重いんやで。営業や言うても、普段からそんなん持ってるんやから大丈夫や。」と、行きの車の中では話してくれとったんですけど、今回の相手は、”カバンの生地”どころの話ではありませんでした。

僕は、最初は、おかんを連れてくるつもりでした。それぐらい、僕のイメージの中では、それは、”バラバラにしたら、薄くて、軽いパネルの物置”でした。

レンタカーを借りるつもりやったんもそうです。まさか、僕は、こないに巨大な木造建築物(!?)やとは思てなかったからこそ、自分の車はレンタカー屋さんに置いといて、借りた車に、物置を積んで戻って来て、また、そこで、自分の車に積み換えてから帰るつもりでした。

もし、おかんを連れて来とったとしたら、ほんまに、どないもならんところでした。さすがに、60歳に近いおかんの力では、それらのパネルを動かす事は不可能でした。もし、おかんが5人おったとしても、重いパネルを持ちながら丸太の上を歩く事は不可能やったやろうし、屋根下ろし作業の際には、そのうちの3人は死んどったはずです。それはそれは、ほんまに、想像を絶する重労働でした。

僕ら3人は、何とか、全てのパネルと板を”合掌積み”(こんな言葉あるんやろか!?)にして、トラックの荷台に乗せました。重たいパネル同士を真ん中でお互いに寄り掛からせるようにして、何とか積み込みを完了しました。

トラックは、1.25トン車やったんですけど、荷台の後ろのアオリの部分も開けんと乗らんぐらい、ほんまに、ギチギチでした。積荷の最大の高さは、普通の家の2階に達する程でした。

おっちゃんは、何とか、お互いに寄り掛っているパネルが倒れんようにと、目に付く場所全て、いたるところにつっかえ棒をしてネジで打ち込んでくれました。おっちゃんは、トラックの荷台の木の板にまでもネジを打ち込む、念の入れようでした。

せやけど、それでも積荷は見るからに不安定でした。お互いが強烈な重さをしてますんで、ふとした弾みで荷が傾き始めたら、簡単なつっかえ棒なんか何本してあっても、バタンと荷が倒れてしまう事は明白でした。

四角い荷やったら、ロープでも縛り易いんですけど、パネルは斜めになった状態で、真ん中で、お互いに寄り掛っていましたので、縛るのも難しく、ロープがあんまり効きませんでした。おまけに、パネルの頂点は真っ直ぐではなくて、家の形をしているために、先が尖がって、斜めになっていました。万が一、ロープが、その斜面に沿って、どっちかにずれてしもたら、一気に、全てのロープが緩んでしもて、万事休すでした。

僕は、積み終えて、ロープでの荷造りを終えた後になって思いました。「えらいもん、積んでもうたわ・・・・・。」

別れ際に、出品者のおっちゃんが僕に言いました。「私は、できるだけの事は全てしましたからね。もう、私には、何もできる事はありませんよ。後は、あなたの自己責任ですからね。気を付けて帰ってくださいよ。かなり車高が高いですから、電線には気を付けてくださいね。もし、電線に接触したら逃げた方が、いいですよ。」おっちゃんは、そない言うて笑いました。

僕と友人は、帰路に着くべく、18時に現地を出発しました。作業時間は約4時間でした。辺りはすっかり暗くなってしまい、寒さが増して来ました。

僕は、慎重に、ただただ慎重に車を走らせました。時速は30キロ前後を常にキープして、少しでも、道が段になっている場所では極端な減速をして、極力、積荷に振動を与えないように、細心の注意を払いました。

大阪までの距離は、約200キロもありました。まさに気の遠くなるような距離です。生きて帰れると思っていた4時間前、小屋を目にして小躍りしていた4時間前が懐かしく感じられました。

再び、僕は、とんでもない荷を荷台に積んで、一切、気の抜けない、下手をすると、重大事故を引き起こしてしまい、死者がでないとも限らない、危険な「死のドライブ」に向けての出発を余儀なくされてしまいました。

行きしなの僕は、「危険を感じたらすぐに引き返そう。」そない思ていました。せやけど、今度は、そないな訳には行きませんでした。もはや、その時の僕には、引き返す場所がありませんでした。

僕に与えられた使命は、”生きて、しかも、積荷を崩す事なく、家に帰り着く事”、ただ、それだけでした。

 

~続く~

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