そして、今年は、”死”について考える機会多かった年でもありました。
4月に、お付き合いをしている相方の愛犬が亡くなり、8月には、73歳の叔母が亡くなりました。
熱中症で亡くなった叔母の死は、ほんまに突然の事で、ビックリしました。
親父と、親父の弟さんと僕との3人で、叔母が経営していた店を片づけていた最中の、突然の出来事でした。
叔母は、以前、親父と一緒に、骨董とリサイクルの店を経営していましたので、大学を卒業して以来、親父と一緒に仕事をしていた僕は、比較的、頻繁に、叔母とは接触していました。
その後、親父と叔母はケンカ別れし、そこの店は、叔母が一人で経営していたのですが、溜め込んでいる商品の大半がゴミで、その量が半端やありませんでした。1トントラックで、軽く10杯以上の量が出ました。
今年の8月に、
「今、まだ体の動くうちにやっとかんと、もう、でけへん!」
と、親父と叔父が、老体に鞭を打ちながら、ゴミ屋敷と化した店舗を片付けていましたので、僕も、ボランティアで、片付けを手伝っていました。
その最中の、突然の出来事でした。
それまで、店舗には、ちょくちょく顔を出していた叔母ですが、ある日、自宅で、クーラーの風の通り道がない程にまで、うず高く積み上げられた異常な量のゴミの中に埋もれて、最後は熱中症で、この世を去りました。
僕は、バイクでの移動中に、掛かって来た電話で、その事実を知らされました。まさに、晴天の霹靂でした。
葬儀にも立ち会いましたが、
「人の死なんて、あっけないもんやな・・・・・・。」
というのが、素直な実感でした。
それ以来、死について、ふと考える機会が増えました。
「そのうち、おかんも死ぬ。親父も死ぬ。そして、いずれ、俺も死ぬ。人生って、何なんやろな・・・・・。」
おかんも親父も、もう70歳を超えています。
そういう僕だって、今年47歳になりました。
酒にも弱くなって、白髪も増えて、近くのものが見えにくくなってきた、もう、ええ年した、おっさんです。
それに、今年は、親父の同級生で、僕も、仕事や何やらかんやらで面識のある男性の奥さんが、交通事故で亡くなりはりました。
仕事の関係でお会いした時に、その男性と、少しだけお話する機会がありました。
「コロナで、商売の方、どないですか?」
と尋ねた僕に対して、男性は言いました。
「コロナは、大変は大変やったけど、まぁ、ボチボチやわ。せやけど、今年、かみさんが、交通事故で死んでもうてん・・・・・・。病気とか、そんなんやったら、心の準備も出来るんやろけど、事故は、ちょっとな。。。。。。」
ほんまに、もう、僕は、掛ける言葉が見つかりませんでした・・・・・。
彼の心中を察すると、思わず、涙が込み上げて来ました。
4月の相方の愛犬との別れの時は、ほんまに、もう涙が止まりませんでした。
そのワンちゃんとは、1年も一緒に過ごしていませんでしたし、僕がお付き合いを始めた頃には、もうかなりの老犬で、ほぼ寝たきり状態でしたので、思い出らしい思い出も、ほとんどありませんでした。
せやけど、涙が止まりませんでした。
止めどなく、涙と鼻水が溢れ出し、拭いても拭いても、かんでもかんでも、追いつきませんでした。
今まで、これほどまでに、死を身近に感じた事はありませんでした。
これらの出来事も、僕にとっては、
特筆すべき、2020年の出来事でした。
~続く~