そして、数分後に、男だけが、一人で僕のところに戻って来ました。
そして、もっともらしく言いました。
「今、ちょっと話聞いてきたんですけど、ＣＴスキャンは、電磁波とか子供の体に悪影響が出る事も考えられるそうですわ。台の上でしばらくジッとしとかんとあかんそうで、それも子供には辛いっちゅう事なんで、やめとく事にしましたわ。今日はもう、診断書作成してもろて帰りましょうか。ちゃんと、もらった領収書を、その場で見せますんで、半分は払ってくださいね。それで、いいでしょ？」
男は、念を押しました。
僕は、答えました。
「警察官の方も言うてましたけど、話が着くまでは、しばらくは、病院の方でも支払いは待ってくれるんでしょ？」
男が言いました。
「病院の支払いは、３月３１日までは待ってもらうんですけど、今日の分だけは、払っといてくださいよ。ちゃんと領収書見せますから。」
僕は、黙っていました。
そして、心の中では思っていました。
「何が、”ＣＴスキャンは体に悪いからやめる”やねん。治療費が折半やったら、自分らの懐も痛いからとちゃうんか・・・・・！？」
”治療費折半”の話を持ち出した事は、明らかに男のミスに違いありませんでした。その意味では、僕はラッキーやったと思います。
僕が、あまりにも話に応じひんもんで、痺れを切らした男が、最大限の譲歩を見せて、僕を言いくるめにかかって来たんですけど、その作戦は見事に失敗に終わりました。
とうとう男は、僕を言いくるめる事を諦めたみたいで、「明日、あさっては土日ですんで、週明けの月曜日に警察署に法律相談に行って来て、火曜日にでも連絡させてもらいますわ。」という僕の言い分を認めてくれました。
男は、言いました。
「それじゃ、免許証のコピー取らせてください。あっ、もう手で書きますからいいですわ。」
そう言ってから、男は受付に足を運んで、薄赤色の受付用紙を手に取りながら、「ちょっと書くもんもらいますね。」と受付の男性に声を掛けました。
受付の男性は、「メモ用紙だったら、ありますけど・・・・・。」と言いながら白紙の紙を手にしてたんですけど、男は、「もうこれでいいですわ。」とぶっきらぼうに言いながら、受付用紙を半分に折って、強く跡型を付けてから手でちぎって、一方を僕に手渡しました。
僕は、免許証番号を、彼が控えるつもりなんかと思とったんですけど、彼は、それは求めませんでした。ただ、住所と名前、携帯電話番号だけを書く事を僕に求めてきました。
僕は、言われた通りに書いて、男に渡しました。男も同じように書いた紙を僕に渡しました。
男の字は、意外と汚くはありませんでした。せやけど、一つだけ首を傾げてしもたんは、彼の名字が、子供の名字と違うかった事でした。
僕は、病院に到着して最初に、彼が病院の受付で、子供の名前を聞かれた際に、答えていた名前を記憶していました。
子供の名字は、一般的でしたが、下の名前は特徴的でした。
受付の男性に、子供の名前を尋ねられた彼は、例のぶっきらぼうな口調で、こないに答えていました。
「名字は、〇〇。下の名前は、”千の虎”って書いて、”せんと”。」
僕は、「そんな名前、考えそうな人達やな・・・・・。」と、心の中で、妙に、納得しながら聞いていました。たぶん、受付の男性も、同じ気持ちやったと思います。
きっと、パンダの女性はバツイチで、男とは、最近、付き合い始めたんやと思います。
せやけど、そこまでプライベートな事にまで首を突っ込む訳にはいかんかったんで、僕は、黙ってそのメモを、なくさんように財布の札入れのところに、折りたたんでしまいました。
しばらくして、パンダの女性と泣き虫坊やが待ち合い所に戻って来ました。
診断書が発行されて、精算が終わるまで、かなりの時間、待たされました。ふと壁の時計に目をやると、時刻は、すでに２１時を回っていました。僕は、すでに、彼らと約２時間半もの時間を共に過ごしていました。
「もう、拳法終わってる時間やな・・・・・。」漠然と、僕は思いました。
相変わらず、男達の子供は、元気に、キャッキャキャッキャと、一人で楽しそうに、玄関の受付と待合所の間を走り回っていました。僕は、この日、第二の犠牲者が目の前で生まれない事を切に願っていました。
僕は、男達とは少し離れたイスに腰掛けてたんですけど、多くの時間を共に過ごして、すっかり顔なじみになった僕に向かって、無邪気な坊やが、笑いながら何度も近くに寄って来ようとしました。その度に僕は、これ見よがしに席を立って、子供から距離を取りました。
すると、子供は鬼ゴッコでもしてるつもりやったんでしょうか、そんな僕を面白がって、さらに無邪気に、笑いながら僕を追いかけてきました。
子供が好きな僕は、危うく坊やの相手をしてあげそうになったんですけど、それこそ、心を鬼にして、子供には指一本触れませんでした。そんなんしたら、慰謝料何ぼ取られるか分かったもんやないです。また違う意味で、僕と坊やは、一緒に鬼ゴッコをしていたのかも知れません！？
せやけど、本当の”鬼”は、今、一緒にいる２人の男女なんやと気付く日が、いつか、この子供にも来るんでしょうか？あんな２人に育てられたら、まず間違いなく、まともな人間にはならんでしょうから、泣き虫坊やもまた、当たり前のように”鬼”に育って、２人の男女が鬼なんやと気付く日は、永遠に来んのかも知れません。
せやけど、よくニュースで耳にするような、内縁の夫の躾名目の言われのない虐待を受けて、その時に、”鬼”やと気付くぐらいやったら、永遠に気付かん方が、本人にとっては、まだ、なんぼか幸せなんかも知れません。
そんな鬼ゴッコを数回繰り返した後に、僕は、男と女に対して、さも申し訳なさそうな口調で言うてやりました。
「ちょっとすんませんけど、お子さん捕まえといてもらえませんか？また怪我でもさしてしもたら申し訳ないですからね・・・・・。」
この日一日で、僕が口にした数多くの嫌味のうち、何個ぐらいが男達の少ない脳ミソに届いてたんかは見当が付かんのですけど、僕は、言えるだけの嫌味は全部言うてやりました。
その最後の嫌味を言うてからは、待合所での僕は、男とは一切、口を利きませんでした。男も、少し離れたところに座る僕には、何も話しかけはしませんでした。
キャッキャキャッキャと、元気に楽しそうに待ち合い場所を走り回る猫坊やを見て、病院を訪れはった７０代ぐらいのおばあちゃんが、にこやかに、パンダ女に声を掛けました。
「かわいいお子さんやねぇ！」
僕は、思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。
「どこがやねん！」
パンダ女は、最初に、僕が子供とぶつかって謝った時に見せたのと同じような愛想笑いで、その言葉に答えていました。
僕は、「おばぁちゃん、その子の頭は撫でん方がええよ。すぐ怪我しよるから。」って、喉元まで声が出かかったんですけど、敢えて、口にするのはやめときました。
きっと、言いがかりをつけられたんは、相手が僕やったからであって、もし同じ事が起きても、おばぁちゃんが相手やったら、彼らも絡んでいかんかったと思います。何でかは分からんのですけど、悪い人間の目には、愛想の良い僕から出てる、特殊な、”絡みやすそうな奴オーラ”が見えるみたいです。
それから続いた約２０分の、僕にとっては、それほど重苦しい訳でもない沈黙は、受付からの名前を呼ぶ声によって、打ち破られました。
僕らは、受付の方へ歩いて行きました。ようやく上がった診断書と治療費の請求書を手にした男は、無言のまま、パンダ女と猫息子を引き連れて、足早に玄関の外に出て、車へと向かいました。
僕が、後をついていくと、車のところで立ち止まった男が言いました。
「今回は、意外と安かったですわ。半分払ってもらえますか？」請求書を覗き込むと、金額は５９７０円でした。
あれだけ、男がギャーギャーと「保険が効かん！保険が効かん！」と捲くし立てるもんやから、僕は、一体どの程度の額になるんかと興味深く思っとったんですけど、あまりの安さに、思わず拍子抜けしてしまいました。もし僕が半分負担したとしても、３０００円もかからん程でした。
僕は、思わず、「それぐらいやったら・・・・・。」と払ろてしまいそうになりました。そして、財布を取り出したところで、「それぐらいやったら、払いますけど、何か領収書、書いてもらえますか？」と男に言いました。
すると、男は、「あぁ、書きますよ。」と即答はしてみたものの、後ろに停めてある車を一瞬振り返ってから、即座に、僕に向き直って、「まぁ、全部終わってから、まとめてにしときますか。」と言いました。僕も、「そうですね。そないしときましょうか。その方が、ややこしくないですね。」と答えました。
男が、助手席に乗り込み、パンダ女の運転する車が動き出しました。
僕は、車には乗り込まずに、男達を見送るような形で、障害者用の駐車スペースに、許可のない車の駐車を防ぐ為のコーンとバーを元通りに戻しました。
男の車は、一瞬の短い時間、停車したんですけど、すぐに、またスタートして見えなくなりました。
僕は、自分の車を出して、さらに自分のスペースのところのコーンとバーも元通りに戻してから、帰路に着きました。
車を運転しながら、ふと助手席のシートの上に目をやると、白い紙袋に入れられた二つのパンが目に飛び込んできました。この日の出来事の全ては、浮かれて買うた、その二つのパンから始まりました。
「一つにしときゃ、選ぶ時間、店員さんが袋に詰める時間が短縮されて、時間がズレて、子供とはぶつからんかったかもな・・・・・。」
それにしても、その時の僕は、ムチャクチャ腹が減っていました。
「せやけど、今、これ食うたらあかんな・・・・・。晩飯が菓子パンちゅうのも、あれやしな・・・・・。」
何か、全てが上手い事行かん、歯車が狂ったような一日でした。。。。。
～続く～
