今年は、バイク旅に出たのは、10月の1回だけでした。
和歌山、三重と回って、2泊してきました。
和歌山から、ひたすら国道42号線を走って三重県の鳥羽市まで行ったら、12時間ぐらい時間が掛かって、泣きそうになりました・・・・・。
今年は、あまりインパクトのある出来事が少なかった1年でしたが、8月20日に起こった出来事だけは、忘れられません。
僕が山で作業をしていると、慌てた様子の2人の年配の女性に声を掛けられました。
「主人が車の中で動かなくなっているので、救急車を呼びたい。ここの住所を教えてほしい。」
との事でした。
それを聞いた僕は、状況を確認するために、2人の女性と一緒に、その車まで行きました。
車の運転席には、シートのリクライニングを倒した状態で、口を開けた男性が仰向けに横たわっていました。
僕は、その男性とは顔見知りでしたので、恐る恐る「〇〇さん!〇〇さん!」と声を掛けてみましたが、返事はありませんでした。
顔には、全く生気が感じられませんでした。
手は紫色に変色していました。握ってみると、めっさ冷たかったです。
僕は、心臓マッサージをしようと思い、何度か、両手で胸を押してみました。
すると、口から、カパカパと音がしましたので、まだ生きてはるかも知らんと思いました。
119番に電話を掛けて、来ていただきましたが、救急隊員さんが言いました。
「残念ながら、我々に出来る事はありません。すでに亡くなってはります・・・・・。あとは、警察に任せて、我々は失礼いたします。」
僕が、なぜ8月20日を忘れられないかと言うと、ちょうど1年前の8月20日に、僕の叔母がなくなっていたからです。
2年続けて、8月20日に、死の現場に立ち合うという偶然が重なったからでした。昨年は、現場には行ったものの、叔母の姿は見ていないのですが・・・・・。
お二方とも、死因は”熱中症”でした。
そんな出来事を2年連続で経験したからかも知れませんが、僕は、コロナよりも、熱中症の方が怖いような気がしてなりません。
不景気などによる経済苦で自殺に追い込まれてしまう方々も増えているみたいですので、「コロナ!コロナ!」と騒ぎ過ぎるのも、正直、どうかと思う僕です。
山小屋作業に関しては、薪ストーブ小屋が、何となく形だけは完成しました。
薪ストーブは、緑色に塗って、ええ感じになりました。
今年の仕事で印象に残っているのは、12月に、都会のジャングルと化していた放置庭を、1人で、のべ13日間かけて、伐採、剪定、草刈などして、綺麗にしたこと、九州から大阪に展示会に来られた方の荷物の積み下ろしやトラックの運転などのお手伝いをさせていただいた事などです。
200坪に近いジャングルの整地は、ほんまに大変で、5~6本もあった、ゆずやレモンの木のトゲには、13日間、泣かされっぱなしで、手が血だらけになってしまいましたが、いつも山で作業しているのと同じ感覚で、1人でのんびりと仕事をさせていただけましたので、終わってみれば、とても楽しい仕事でした。
展示会出展のお手伝いは、九州からのお客さんに連絡をいただけたというのが嬉しかったですし、初めて運転する、「準中型免許が必要」な慣れないトラックで、慣れない大阪市内を走るというのは、スリル満点で、これまた、終わってみれば、楽しかったです。
~続く~