まいど、まいど!
皆さん、元気してはりますか?
お陰様で、今日も僕は、きょひょきょひょ元気です!
いよいよ、2019年も終わりが近づいてきましたね。
今日も僕は、毎年恒例の、この記事を書くためだけに、はるばると(?)やって来ました。
ヤフーブログが閉鎖になってしもて、ブログ移転しましたので、さすがにもう、今、この記事を読んでくれてはる方々というのは、ほんまにもう、限りなく、皆無に近いと思います。
まぁ、せやけど、そんな事、気にしたら負けです!(笑)
そんなん気にしてたら、ブログなんか、書けまっかいなっっっ!!!!!!
・・・というわけで、1年ぶりの更新にもかかわらず、今日も元気に、何事もなかったかのように、1年を振り返ってみたいと思います。
いやいやいやいやいや、、、、、、、、、、一言で言うと、今年は、短かったようで、めさめさ長い、濃密な1年でした。
幸いにして、2018年のような大きな災害の連発に見舞われる事もなく、比較的に、静かな1年やったと思うんですけど、平成から令和へと元号が改められたのと同じように、僕の人生もまた、大きく動いたように思います。
以前に、「その時、歴史が動いた。」という言葉を、テレビのナレーションで耳にした記憶がありますが、それに当てはめてみると、確かに、今年、僕の人生の歴史が、大きく動きました。
昨年の11月に、僕は家を出て、今後は、中川家とは関わる事なく生きて行こうと決心しました。
親父の家のローン返済の手助けも終わりましたし、家業は、甥が継ぐ事になりました。
中川家における僕の役目は、もはや、ありません。
今まで、散々、親父に苦しめられ続けて、何回も家を出ざるを得なくて、その度に、お金を使って、大きな苦労もして来ました。
2002年には、難病を宣告されましたし、やっと症状が落ち着いて来た2009年には、交通事故に遭うて、えらい目に遭いました。
今まで、女手一つで、2人の子供を育てていた姉のサポートも続けて来ましたが、そんな2人の子供達も、20歳を超えて、1人は、家業の2代目に、もう1人は、会社への就職が決まりました。
「もう、俺の役目は、終わったやろ・・・・・・。」
と、いうわけです。
2019年からは、何でも屋さんの事業所も兵庫県の猪名川町に移して、今後は、ボチボチと、老後のお金を貯めながら、1人でのんびりと生きて行きたいと思っていました。
要するに、僕は、もう疲れてしもたんです。
僕が望むのは、みんな仲良く、毎日、笑顔で楽しく生きて行くこと、ただ、それだけです。
お金なんか、必要最少限あれば、それで十分です。
せやけど、中川家に身を置いていては、そんな、ささやかな望みでさえ、一生、叶えられへん事を悟りましたので、今が、ちょうど、ええ機会とばかりに、家を出る決心をしたんです。
昨年、僕は、45歳になりました。
もし、僕が90歳まで生きられるんやとしたら、今が、ちょうど半分です。折り返し地点です。
僕は、2019年から始まる、新たな人生を”第2の人生”と位置づけして、これからは、のんびりと、心と体に刻まれた傷を癒しながら、毎日、楽しく、山で生きて行きたいと考えていました。
今まで、中川家の為に生きて来ましたので、第2の人生は、自分の為に生きようと決めました。
元号が変わるからと、それに合わせて、行動した訳ではありません。
ただ、僕が、そないに決めた時、たまたま、元号が変わる時やったというだけの話です。
いやいや、せやけど、何回か、このブログにも書いていますけど、僕は、運命論者です。
世の中で起こる全ての出来事は、必然であって、偶然はないと思っています。
せやから、やっぱり、僕のこの行動が、たまたま、改元と重なってしもたというのも、知らず知らずのうちに、必然やったんでしょうね。
~続く~