彼は、身長も180cmぐらいあって、がっしりした体型をしてはって、スピードとパワーを兼ね備えた、ほんまに、”えげつない”(とんでもない)ほど強い人でした。
道場の先生曰く、「あいつは天才タイプで、全日本レベルの選手や。」との事で、ただ昇段試験を受けてはれへんだけで、ほんまの実力は、4段~5段ぐらいは優にありそうでした。
何で、僕が、そないな事が分かるかっちゅうたら、僕が2段に昇段した後にも、彼には、何度か稽古を付けてもろた事があるんですけど、その時でも、僕は、彼には全く歯が立たずに、体に触れる事すらも、でけへんような有様やったからです。
それで、僕は、「この人のレベルは、3段どころやないわ・・・・・。」と思い知らされた訳です。
もちろん、その時の僕は、2段になり立てのホヤホヤで、まだ2段の入り口に立っとっただけに過ぎんかったんですけど、それでも、彼が自分と、たったの一段違いとは、とても思われませんでした。
具体的に言うと、彼の突き(パンチ)と蹴りは、面や胴の防具の上からでも、相当な痛みを感じる程に強烈でした。僕は、面に彼の突きを食ろて、しばしば軽い脳震盪を起こして、頭がクラクラと来ていたもんでした。
冗談抜きで、僕は、「この人は、防具の上からでも人を殺せる・・・・・。」と思てました。それぐらいに、彼の打撃には、威力がありました。まさに、彼のパンチは、ヘビー級のそれでした。もし面がなかったとしたら、首の骨が何本あったとしても、全部折られとったと思います。それぐらいに、彼の打撃は強烈でした。
おまけに、彼は、ものすごく怖い人で、僕ら新人が、疲れと恐怖で立ちすくんどったら、「攻めんかっ!」と、大きな声で怒鳴られました。こっちが攻めんかったら、彼に攻められてボコボコにされるし、かと言うて、攻め続けとったらすぐに息が上がってしもて攻められへんようになるし、そないなったら、また怒鳴られて、ボコボコにされるし、の繰り返しでした。
新人の僕らにとっては、まさに、彼は”怪物”でした。
仕事をしていた、僕らよりも4歳年上の彼は(入門当時の僕は21歳の大学生でした)、たいがい稽古開始時間よりも遅れて来はったもんで、一緒に道場に通い始めた友人と僕とは、体操をしている最中に、誰かがやって来る足音が聞こえる度に、「うわ、あの人が来たんちゃうやろか・・・・・。」と怯えていたもんです。
そして、道場の扉を開いた人間が、彼やない事を確認した時の安堵感というのは、まさに、九死に一生を得た時のような、言葉にでけへん程の心持ちでした。
せやけど、それとは反対に、「今日は、もう時間的に、彼は来んやろう・・・・・。」と気を抜いとった時に、彼の姿を道場の扉のところに確認した時の精神的ショックと言えば、それはもう、相当なもんでした。
それぐらいに、彼の存在というのは、僕らにとっては、まさに恐怖の的でした。
僕と友人は、真夏の暑い日々にも、それこそ、クタクタになって、立たれへん程にまで、力を使い果たすまで稽古に励んどったんですけど、厳しい稽古を終えた後に一気飲みする、自動販売機で購入した、ガンガンに冷えたスポーツドリンクの味は、まさに格別でした。
今となっては、あそこまでクタクタになる程、無茶な稽古をする事は、もはやないんですけど、若い頃に、限界近くまでに自分を追い込んだ経験は貴重やったと思います。今となっては、あの頃のしんどさや痛さも、いい思い出になっています。
せやけど、彼は、ただ怖いだけの人ではありませんでした。
彼は、「パンチを当てる、自分の距離を掴む事が大事なんや。」と言うて、しばしば、ノーガードで僕らに攻撃をさせてくれました。僕が遠慮して、面に力のない突きを入れると、「なんじゃ、その突きはっ!?」と怒鳴られて、「突きっちゅうのは、こない打つんや!」と、その僕の突きの何倍にも強烈な突きを、お見舞いされたもんでした。
それが嫌で、僕は、いつも力一杯、彼の面を、どつかせてもろてました。彼は、稽古が終わって帰りはる時に、「おまえらに打たれ過ぎて、頭クラクラするわ!」と、いつも笑ろてはりました。いつも、タバコの匂いをプンプンと漂わせている彼は、とても豪快な人物でした。
僕は、一度だけ、彼が試合に出場するのを見た事があります。
僕が、まだ白帯の頃やったんですけど、彼と一緒に、”なみはや国体”のデモスポ競技としての日本拳法の試合に出場しました。
残念ながら、僕は、4段の相手から胴突きで1本だけは取ったんですけど、負けてしまいました。(日本拳法は、3本勝負で、2本を先取した方の勝ちです。)
彼は、前日は、麻雀か何かをしていて、一睡もしてはれへんかったそうで、「俺の試合の順番が近づいて来たら、起こしてくれ。」との言葉を残して、試合が始まるまでは、ずっと横になって、寝てはりました。
せやけど、そんな最悪のコンディションにも拘わらず、彼の強い事、強い事!彼は、あれよあれよと言う間に、並みいる強豪を打ち破って、ベスト16まで進みました。
残念ながら、ベスト8をかけた試合で負けてしもたんですけど、それでも4試合ぐらいは、軽く勝ってはりました。
しかも、真剣に稽古を始めたのは、その大会への出場が決まってからの、ほんの2ヶ月かそこらでした。それまでの彼と言えば、僕らの試合前にだけ、先生に電話で呼び出されて、仕方なしに、応援で、僕らに稽古を付けに来てくれはる程度でした。
彼が、最後に稽古を付けに来てくれはってから、もう、かれこれ7~8年になります。
彼が、道場に顔を出しはらんようになってからは、僕が一人で道場を支えていました。進学や就職をすると、ほとんどの大人が道場を去って行きました。僕のライバルであった、一緒に拳法を始めた友人も、就職を機にやめてしまいました。
僕以外の大人の稽古生が、1人も、おらん時期もありました。僕の稽古相手が、もう一人の先生だけやった時期も、かなり長かったです。
その先生は、もちろん、僕よりも段が上で、強いんですけど、毎回、同じ人とばかり稽古をしていても、なかなか技術の向上は望めませんでした。
たまに、入ってきた新人さんを相手に稽古をする事もあったんですけど、格下の相手と稽古をしていても、なかなか強くはなれませんでした。
足の指や手首などの怪我が増えた事もあって、当時の僕は、試合に出ても勝たれへん事が多くなっていきました。僕は、強くなるためには、やっぱり、自分よりも格上の相手と稽古せなあかん事を、痛感していました。
そうこうするうちに、負けが込んだまま、肉体的にも精神的にも疲れ果ててしまっていた当時の僕は、九州に旅に出ました。そして、大腸の病気を患ってしまいました。
昨年の1月に、本格的に拳法に復帰するまで、約3年半のブランクをこしらえてしまいました。早いもんで、僕が2段に昇段してから、7年もの月日が流れていました。
復帰1年目の昨年は、わずか1勝しかできませんでした。今年は、攻めの気持ちを思い出して、何としてでも3段に昇段したいと思ってるんですけど、先日、豊中の道場に顔を出さしてもろて、久しぶりに、自分より強い人達と稽古をさせていただいて、ふと、”怪物”の彼の事を思い出してしもたんで、今回、コラムのページに書かせてもらいました。
僕が、”3段”ちゅう響きに憧れを持つのも、彼が、本当の実力ではないにせよ、最終的に、”3段”やったからやと思います。たとえ、それが、書類の上だけの事やったとしても、当時の僕にとって、あれだけ大きな存在やった、彼の段位に追いつけるっちゅう事は、ただ、それだけで喜ばしい事です。
晴れて、僕が3段になれたあかつきには、11年の年月をかけて、どれ程、僕が強くなれたんか、”怪物”の彼に、再度、稽古を付けに来てもろて、腕試しをしてみたい気持ちも少なからずはあるんですけど、7年以上のブランクを物ともせずに、再び、ボコボコにされてしもた日には、相当に自信を失くしてしまいそうなんで、やっぱり、彼には、もう来てもらいたくないっちゅうのが、本音なんかも知れません!?
信じられへんかも知れませんけど、何しか彼は、それぐらいの”怪物”なんです!いや、ほんまにっ!!
せやけど、ほんまに長い事、道場には顔を出してはれへん彼なんですけど、ひょっとしたら、次回の稽古日にでも、ふと顔を出しに来はるかも知れません。よう言いまんがな!「天才(天災)は忘れた頃にやって来る」って・・・・・。
~完~